• 事業再生
  • 破産

破産

体験者の声

倉庫業/東京 安島 勇様 (再生時間5分19秒)

再スタートが切れる方法がある。安心した。将来に希望が持てた。

このままだとウツになってしまうんじゃないか。
それくらい悩んでいました。

もっと早く相談すれば良かったと思いました。
一人でずっと悩んでいました。誰にも相談できませんでした。
でも,いくら考えても答えは出てこない。
専門家にアドバイスしてもらうのが一番。
同じように悩んでいる方がいらっしゃったら,
早めに専門家に相談することをお勧めします。

 

詳しく読む

システム開発/東京 (再生時間1分54秒)

お先真っ暗。本当に死ぬことも考えた。
他の弁護士にも電話したが,2〜3件断られてしまった。
「明るい倒産」というキーワードが私を元気づけてくれた。
相談した瞬間で肩の荷が3分の2くらい下りた感じがしましてね〜(笑)

(売掛金を差押えられて)お先真っ暗。本当に死ぬことも考えた。

他の弁護士にも電話したが、最初に200万円ないと手続を開始できませんと言われてしまい、2〜3件断られてしまった。

 

インターネットで「明るい倒産」というホームページを見つけた。

「明るい倒産」というキーワードが私を元気づけてくれた。

 

すぐに会っていただけたのが嬉しかった。

段取りを説明していただいた段階で、かなり気持ちが楽になった。

前向けに考えて、人生新たなスタートを切れる。気持ちが非常に楽になった。

大竹先生は親身になって相談していただけたので、相談した瞬間で肩の荷が3分の2くらい下りた感じがしましてね〜(笑)。

 

皆さんにお伝えしたいことは、少しでも悩んでいたらできるだけ早く相談されたらいいのではないかと思います。

詳しく読む

事例紹介

株式会社バナナソフト(仮称)

業種:ソフトウェア開発
社長:山田太郎(仮名。当時60歳)
負債額:法人 約3億円
    社長 約3000万円(連帯保
証分を除く)

それまでの人脈を活かし、大手電機メーカーの関連企業など、
大口の顧客を獲得しました。
一時は従業員が50名までに増えましたが・・・

バナナソフトは、山田太郎氏が平成4年に創業しました。山田さんのそれまでの人脈を活かし、大手電機メーカーの関連企業など、大口の顧客を獲得しました。一時は従業員が50名までに増えました。

バナナソフトが扱っていたソフトウェアの開発は、1年近くかかるものが多く、注文から入金までは1年以上かかっていました。その間の経費は銀行から融資を受けてまかなっていましたが、開発が終われば取引先からの入金は確実にされていたため、返済も滞ることなく事業は順調に拡大していました。

ところが、平成21年ころ、開発の一部を外注していた中国の業者が納期を大幅に徒過しました。そのうえに納品されたソフトの出来が悪かったことから、その取引は解約されてしまいました。それによってバナナソフトは7500万円もの損失を出してしまいました。

さらに同じ年に政府の外郭団体から約1億円の仕事を受注していたところ、民主党政権の事業仕分けにより発注元が仕分けの対象となってしまい、その仕事がキャンセルとなってしまいました。

詳しく読む

四谷印刷有限会社(仮称)

業種:印刷業
社長:田中一郎(仮名。30歳)
負債額:法人 約8000万円
    社長 なし

社長を引き継いで4か月ほど経ったころに、税金の滞納があることが発覚しました。源泉所得税・消費税等が約2000万円、それに延滞税約2000万円が加算されていました・・・

四谷印刷は、田中さんのお父様が昭和45年に設立した会社でした。田中さんは別の会社でWebデザイナーとして働いていましたが、お父様が平成18年に急死してしまったため、田中さんが仕方なく社長を引き継ぎました。当時四谷印刷には従業員が30名程いたので、会社をつぶすわけにいかなかったのです。

ところが、社長を引き継いで4か月ほど経ったころに、四谷印刷に税金の滞納があることが発覚しました。源泉所得税・消費税等が約2000万円、それに延滞税約2000万円が加算されていました。国税局と交渉して、毎月50万円ずつ納付することになりましたが、もともと赤字だったうえに、売上げは落ち込みつづけ、さらに税金も納付しなければいけなくなったのです。

田中さんは営業継続を断念して、自己破産をしようと「明るい倒産・事業再生」に相談しました。破産手続は無事に終わりました。田中さんは会社経営の重圧から解放され、今では以前同様にWebデザイナーとして活躍しています。

詳しく読む

株式会社千代田花店

業種:生花販売
社長:鈴木花子(仮名。当時56歳)
負債額:法人 約2000万円
    社長 約400万円(連帯保証分を除く)

悲劇は突然やってきました。平成18年,生花販売をグループ会社に切り替えたい百貨店から追い出されてしまったのです。千代田花店にとっては大打撃でした。一気に売上げが半分に減りました・・・

千代田花店は、昭和41年に鈴木さんの父が創業。順調に事業を拡大して、平成15年から鈴木さんが社長を引き継ぎました。そのときは大手百貨店にも店舗を出していて、経営は安定していました。しかし、悲劇は突然やってきました。平成18年、生花販売をグループ会社に切り替えたい百貨店から追い出されてしまったのです。千代田花店にとっては大打撃でした。一気に売上げが半分に減りました。

鈴木さんは、事業規模を縮小しながら、なんとか営業を続けていました。そして、平成21年には従業員がいなくなり、鈴木さんと娘の2名だけで1店舗を経営する形にしました。削れる経費は削って、黒字化できるようになりました。

ところが、悲劇は続きます。今度は、東日本大震災の影響で生花を使った装飾などが敬遠されるようになり、スーパーなど大口の販売がなくなりました。個人向けの売上げも落ち込み、銀行のローンの返済ができなくなってしまいました。そんな中、追い打ちをかけるように鈴木さんは体調を崩し、お店に立てなくなってしまいました。  鈴木さんは、これ以上の継続は無理だと考え、「明るい倒産・事業再生」に相談しました。自己破産すると自宅がどうなってしまうのかが心配でしたが、幸いにも自宅を親族に買い取ってもらうことになり、住み続けることができました。破産手続は無事に終了しました。鈴木さんは長年住み慣れた自宅で、新しい生活をスタートしました。

詳しく読む